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それででしょうか。著作権課へ何度か事情説明に伺いました。
文化庁と言えば、著作権課の仲介抜きで、協定締結は語れませんよね。よくまぁ、過酷な会議に付き合ってくれました。
毎回夜遅くまでやっていた協定内容についての「予備交渉会議」でしょ。
えぇ、2ヵ月間に8回会議の場を持ったんですが、私共の都合で開始時間がどうしても遅くになるため、終電がなくなることもしばしばでした。しかし午前さまには慣れてらっしゃるようで、霞ヶ関が不夜城と呼ばれる所以かと、妙に納得したのを覚えています。
文化庁さんが仲介いただいたおかげで会議がとてもスムーズに進行しました。まったく中立でアドバイザー的存在なのですが、やっぱり慣れてらっしゃるんでしょうね。私としては判決云々の並行する議論から解放され、やっと建設的な話し合いができたことが嬉しかった。
お互いに認め合う気持ちが無ければ、役所が仲介に入ったところで、交渉ごとはまとまりません。やはり、音楽文化の健全育成、そして著作権擁護の精神で、両団体あい通じるところがあったと言うことだと思います。
そう言った意味でも、私共の初代会長・毛塚昇之助の存在は大きいですね。口ぐせは「カラオケは文化」。JASRACさんとの協定に関しても、うちの中では賛否両論ありました。どちらかと言うと賛成の方が少なかったぐらい。それを「文化と呼ばれる市場にもめごとや裁判沙汰があってはならない」と皆を説得したわけですから。
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