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誕生後わずか30年足らずで8千億円に迫る産業にまで発展したカラオケ業界。ここでは、ハードとソフトの変換を通じてカラオケの歴史をたどってみたい。
1970年代の初頭には、それまで主に軽音楽のBGM再生機として使われていたコインボックス内蔵の8トラック式小型ジュークボックスにマイク端子が付く。そして軽音楽テープ等を使って歌わせるカラオケの前身的な利用方法が登場した。
軽音楽テープが「聴くこと」を目的としているとすれば、カラオケテープは「歌うこと」を目的に作られる。厳密に言えば、プロ歌手ではなく、素人に歌いやすくアレンジされていなければならない。仮にこうした定義に基づくと、国民皆唱運動を展開した山下年春氏(太洋レコード創業者)が'70年に発売した伴奏テープ(8トラック式)は、初のカラオケソフトと言える。
その翌年、井上大佑氏(クレセント創業者)がスプリングエコー、コインタイマー内蔵のマイク端子付き8トラックプレーヤーを手作りで製作。弾き語りで録音した伴奏テープ10巻(40曲)をセットして店舗へレンタル提供した。店舗での使用料金は1曲5分間100円だったが、神戸市(兵庫県)の酔客の人気を博し評判となる。カラオケが業務用として誕生し、普及していったことを考えれば、カラオケ事業の始まりは'71年だと言える。
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こうして誕生したカラオケは、'73年には早くもビジネスとして各地で注目を集める。ハード、ソフトメーカーが相次いで登場してレンタルを開始。酒場など、社交場を中心に急速に普及していった。'76年にはテイチクが豊富なライブラリーを背景にカラオケテープを販売。家電・音楽業界からはクラリオンと日本ビクターが参入している。
カラオケ誕生後の10年間は家電・音楽業界の大手やカラオケ専業メーカー、そして「四畳半メーカー」が技術及びアイデア競争を繰り広げた時代だった。そしてハード、ソフト共に質が向上して歌いやすくなり、カラオケ愛好者も大幅に増加。家庭にも浸透して新たな娯楽を創設した。
'80年代初めに、その後のカラオケのスタイル・方向を大きく決定づける2つの技術が登場した。「映像カラオケ」(LD、CD、VHD)と「オートチェンジャー」の登場である。それまで、カラオケといえばテープの曲に合わせて歌詞カードを見ながら歌うのが普通だった。それが映像カラオケの登場で、画面に背景画像や歌詞のテロップが流れ、モニター画面を見て歌えるようになったのである。
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