カラオケ事業の始まり。その誕生から8トラック全盛時代
誕生後わずか40年足らずで6千億円を超す産業にまで発展したカラオケ業界。ここでは、ハードとソフトの変換を通じてカラオケの歴史をたどってみたい。
1970年代の初頭には、それまで主に軽音楽のBGM再生機として使われていたコインボックス内蔵の8トラック式小型ジュークボックスにマイク端子が付く。そして根岸重一氏(日電工業)らが軽音楽テープ等を使って歌唱するサービスを小型ジュークボックスに追加提案するなど、カラオケの前身的な利用方法が登場した。
軽音楽テープが「聴くこと」を目的としているとすれば、カラオケテープは「歌うこと」を目的に作られる。厳密に言えば、プロ歌手ではなく、素人に歌いやすくアレンジされていなければならない。仮にこうした定義に基づくと、国民皆唱運動を展開した山下年春氏(太洋レコード創業者)が'70年に発売した伴奏テープ(8トラック式)は、初のカラオケソフトと言える。
その翌年、井上大佑氏(クレセント創業者)がスプリングエコー、コインタイマー内蔵のマイク端子付き8トラックプレーヤーを手作りで製作。弾き語りで録音した伴奏テープ10巻(40曲)をセットして店舗へレンタル提供した。店舗での使用料金は1曲5分間100円だったが、神戸市(兵庫県)の酔客の人気を博し評判となる。カラオケが業務用として誕生し、普及していったことを考えれば、カラオケ事業の始まりは'71年だと言える。
こうして誕生したカラオケは、'73年には早くもビジネスとして各地で注目を集める。ハード、ソフトメーカーが相次いで登場してレンタルを開始。酒場など、社交場を中心に急速に普及していった。'76年にはテイチクが豊富なライブラリーを背景にカラオケテープを販売。家電・音楽業界からはクラリオンと日本ビクターが参入している。
カラオケ誕生後の10年間は家電・音楽業界の大手やカラオケ専業メーカー、そして「四畳半メーカー」が技術及びアイデア競争を繰り広げた時代だった。そしてハード、ソフト共に質が向上して歌いやすくなり、カラオケ愛好者も大幅に増加。家庭にも浸透して新たな娯楽を創設した。
映像カラオケの登場。ニューメディアとの融合と進化
'80年代初めに、その後のカラオケのスタイル・方向を大きく決定づける2つの技術が登場した。「映像カラオケ」(LD、CD、VHD)と「オートチェンジャー」の登場である。それまで、カラオケといえばテープの曲に合わせて歌詞カードを見ながら歌うのが普通だった。それが映像カラオケの登場で、画面に背景画像や歌詞のテロップが流れ、モニター画面を見て歌えるようになったのである。
レーザーディスク(LD)カラオケは'82年にパイオニアが初の業務用システムを開発。翌'83年には日本ビクターがVHDカラオケで、映像カラオケ市場に参入した。また、こうしたハードと歩調を合わせ、従来のカラオケ専業メーカーや映画レコード会社各社も相次いで映像ソフトのシリーズを発売。選曲、画像、歌いやすさといった各社のオリジナリティーを生かしながらしのぎをけずった。
こうして、映像カラオケは「絵の出るカラオケ」としてファンのすそ野を広げ、'89年から'91年には、カラオケ出荷台数の8割を占めるに至る。
一方のオートチェンジャー(リモコン選曲)は、'84年に第一興商とソニーがCDチェンジャーを共同で開発。コンパクトで簡単にリモコン操作ができるといったメリットが受け入れられ、需要を伸ばした。また、小型で持ち運びが可能であることも奏功し、旅館やホテルなどのバンケット市場にも浸透した。
オートチェンジャーは即座にLD、VHDにも採用される。スナックなどではカラオケを操作する手間が省け、人件費も削減できるとあって、マニュアルタイプ(手動式)からの買い換え需要を創出した。
映像カラオケは、後にCD-I、ビデオCD、CD動画など、最先端技術を採り入れて、コンパクトかつ高性能に進化を遂げる。オートチェンジャーは、各システムと組み合わせられ、オートタイプ(自動式)の市場を作り上げることになる。
若者の潜在需要を背景に新規市場を開拓したカラオケボックス
それまでもクルーザーを改造したカラオケボックスなど、ボーカルスペースの変わり種は存在したが、船舶用コンテナを改造した屋外型カラオケボックスが岡山県に登場したのは'85年である。そこでは主にCDオートチェンジャーが導入されていた。複数の人々が利用するため、機器は利用者がソフトに触らない「非接触型(自動式)」である必要があった。そういう意味では、オートチェンジャーがカラオケボックスの誕生と普及を促したとも言える。
カラオケボックスは、それまでの潜在需要層ともいえる若者のニーズを満たし、酒場市場、バンケット市場に加え、まったく新しい市場を開拓した。当初、郊外のロードサイドが中心だったロケーションも、繁華街、ビジネス街など、商業地へも移行し、全国的なブームを呼ぶようになる。
'90年になって登場してきたのが集中管理システムである。レジャービルなどに複数のオートチェンジャーと管理コンピュータを配置したセンター室から、同軸ケーブルで界隈の契約店舗の端末にカラオケを提供する。最初は酒場が密集した歓楽街の効率化を目的としたシステムだったが、多曲化が図れること、ランニングコストを低減できることなどが評価され、その後、カラオケボックスや大型の旅館・ホテルにも採用されていく。
カラオケボックスの集客を目的とした採点機ブームやディスコ並の照明システム、音場空間を演出する音響機器アイテムが盛り上がりを見せたのも、カラオケボックス市場成長期に当たる'90年代前半の特徴である。
マルチメディアが具現化した商品、通信カラオケの普及
'92年、通信カラオケが登場する。当初、他のカラオケソフトと同様、約3000曲のラインアップでスタートした新メディアは、その後の増曲を機に(1) 曲数の多さ、(2) 新譜リリースの早さ、(3) コンパクトさなどが評価され、普及に拍車がかかる。それまでカラオケボックスの主役だったLDオートチェンジャーのソフト収納容量が限界となり、ハードの追加、交換時期と合致したことも同システムの普及を後押しする要因となった。世間では「マルチメディア」という言葉が流行し、双方向性を持つ通信カラオケはマルチメディアが唯一具現化した商品と称され、ボックス需要の高まりとともに他業種からのメーカー参入と既存メーカーの開発着手が相次ぐ。
'95年には、すべてのメーカー(15社/10システム)の商品が出揃い、通信カラオケ時代を迎える。この年の通信カラオケ出荷台数は10万4000台。全出荷の約80%に当たる。その後も通信カラオケは進化を重ね、'98年度には単年度出荷の94%を占めるに至っている。
カラオケメーカーの相次ぐ合併による業界再編
'99年以降も、各社は次々と新商品を発表。また、この頃、ギターやキーボード演奏とカラオケを融合した参加型の新たなカラオケスタイルも提案された。が、相次ぐ商品開発と競合の激化は、長引く景気低迷と相まって、メーカー及び販社の体力を奪う結果となる。
業界の再編。'99年タイカンとミニジュークが合併。'00年有線ブロードネットワークスと日光堂が業務提携。さらにユーズ・BMB エンタテイメントと社名を改めた日光堂が'02年タイカンと合併、'04年には続いて買収したパイオニア並びにクラリオン系のカラオケ関連会社などを含め、同社関係子会社の統合を図る。'06年、エクシングがビクターレジャーシステムとタイトーの業務用カラオケ事業を買収。BM(旧・ユーズ・BMBエンタテイメント)は'07年にセガ・ミュージック・ネットワークスを買収する。そして'10年7月にはBMBがエクシングと合併し、第一興商とエクシングのメーカー2社体制となる。
ブロードバンドに対応したシステムの進化
この間、システムの流れは、低価格帯モデルや老人介護&福祉施設向けコンテンツを備えたシステムが登場。また、'02年以降は、ブロードバンド環境の整備に伴い、各社より、生音・動画等大容量データを活用した新しい時代の通信カラオケが発売。また他方カラオケ機器を用いたゲートウェイビジネスが開始され、新たなネットワーク時代のビジネスシーンが提案された。こうしたブロードバンド環境の整備は光回線普及でさらに急伸し、インターネットが日常と言えるユビキタス社会へと国内を変貌させた。インフラに伴いネットワーク技術が大きく進化したこともカラオケの高機能・高性能化を促す要因となっている。ハードディスクの大容量化によって今や収録楽曲は20万曲に及ぶ勢いで増加。人気楽曲にはカラオケ音源だけでなく、見本歌唱や歌い手本人の歌唱まで収録されている。機器のコンパクト化も進みコマンダーとアンプは一体となり、本体に配した液晶タッチパネルで操作性も格段に向上した。
'10年以降は映像のハイビジョン化が急速に進み、モニターの大型化とも相まってアーティストのライブ会場が映し出される光景は、さながらパブリックビューイングと称されている。ネット社会は個々人の生活様式を大きく変えたが、カラオケ版SNS(ソーシャル・ネットワーキング・サービス)の「DAM★とも」や「うたスキ」は、利用者が自分の歌声や姿を仲間に発信できる新たなカラオケの楽しみ方を提供している。今や1,000万をこえる人々が利用するこのサービスだが、手軽に使える手もと端末の果たす役割が大きい。
そもそも’95年に登場した電子目次本は、'02年に「デンモク」、'04年「ナビカラ」、「キョクNAVI 」など各社ラインナップが揃い、一気に導入が進んだ。この電子目次本は、その後にカラー化、更にはタブレット端末化するなど、操作性と多機能性で、選曲のみならずゲームや採点、そしてSNSほか多彩なコンテンツを楽しむ際の手もと端末として、カラオケに不可欠な存在となっている。
エルダー市場の創造とカラオケのさらなる拡がり
そもそも老人介護や福祉施設向け商品の業界投入は'01年だが、'09年以降「エルダー市場」として顕著な増加を遂げ、'13年には導入2万施設を超える市場が創造された。'11年に第一興商が生活総合機能改善機器として専用コンテンツ搭載の「FREEDAM」を発売。エクシングも'13年に「JOYSOUNDFESTA」を発売。エルダー市場に専用機が登場したことで、より普及に拍車がかかっている。昨今では学術的にも介護予防にカラオケが役立つことが証明され、超高齢化社会の到来に、医療や介護現場でのさらなる利用が期待されている。ハードとソフトを通してカラオケの歴史を眺めてきたが、カラオケは常に時代の最先端技術と密接に結び付いて発展してきたことがわかる。
業務用カラオケ市場で技術を熟成、家電商品化された例も枚挙にいとまがない。アナログからデジタルへ、ニューメディアからマルチメディアへと、市場を問わず時代を牽引してきたカラオケ。現在の主役
である通信カラオケにおいても、異業種に先駆けて、ネットワークビジネスを具現化。近年では、通信インフラの整備・ブロードバンド化を受けて、地域を超えたリアルタイムのコミュニケーションを現実のものとしている。
また、遠くない将来には、通信システム上に様々な業務用コンテンツが共存する日が訪れるであろう。カラオケ…誰もが手軽に楽しめる日本発の文化・娯楽。この産業・ビジネスは今後も時代とともにスタイルを改め、歌う喜びと、新たな可能性を伝えてゆくに違いない。
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